本屋大賞はとってない

本屋大賞はとっていません

親にでも書ける読書感想文(芥川龍之介編その7)

「四谷でーすか」です。

最初に断っておきます。

今回の講義は極めて下品な内容になります。

でも、避けては通れません。

僕ではなくて、芥川が下品なんです。

あれ、下品と言ったとたんに居眠りから覚めた人がいますね。
授業が終わったら職員室に来なさい。

 

さて、下品になる前に、『トロッコ』の構造を再確認してみましょう。

1 良平が「背の高い土工=キリスト」に叱られる(「その3」参照)。

2 良平が「二人の土工=二人の悪魔」に誘惑される。

3 良平が「二人の土工=二人の悪魔」に見捨てられる。

4 来週のお楽しみ。

 

今回は「3」です。

前述のとおり目を覆いたくなるほど下品ですが、「4」で名誉挽回されるので、ここではじっと耐えましょう。

 

その次に車の止まったのは、切崩きりくずした山を背負っている、藁屋根の茶店の前だった。二人の土工はその店へはいると、乳呑児ちのみごをおぶったかみさんを相手に悠悠ゆうゆうと茶などを飲み始めた。良平はひとりいらいらしながら、トロッコのまわりをまわって見た。トロッコには頑丈がんじょうな車台の板に、ねかえった泥かわいていた。

 少時しばらくのち茶店を出て来しなに、巻煙草を耳にはさんだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコの側にいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平は冷淡に「難有ありがとう」と云った。が、すぐに冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた菓子には新聞紙にあったらしい、石油の匂がしみついていた。
 三人はトロッコを押しながらゆるい傾斜を登って行った。良平は車に手をかけていても、心はほかの事を考えていた。
 その坂を向うへり切ると、又同じような茶店があった。土工たちその中へはいったあと、良平はトロッコに腰をかけながら、帰る事ばかり気にしていた。茶店の前には花のさいた梅に、西日の光が消えかかっている。「もう日が暮れる」――彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。トロッコの車輪をって見たり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押して見たり、――そんな事に気もちを紛らせていた。
 ところが土工たちは出て来ると、車の上の枕木まくらぎに手をかけながら、無造作むぞうさに彼にこう云った。
われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから
「あんまり帰りが遅くなるとわれのうちでも心配するずら」
 良平は一瞬間呆気あっけにとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日のみちはその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。良平はほとんど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取って附けたような御時宜おじぎをすると、どんどん線路伝いに走り出した。

 

御承知のとおり、「茶店」には休憩所という意味のほかに、「色茶屋」という意味があります。

そして、若い二人の土工は「茶屋」に目がない。

彼らは短期間のうちに2軒の「茶屋」に寄った。

いわゆる2連発です。

参ったな。下品すぎますね。でも仕方がない。悪魔だから。

で、そのあげくに必殺のわれはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだからが出てくる。

3連発宣言です。

参ったな。

それにしても、芥川はなぜここで、『トロッコ』をこんなに下品な代物にしてしまったのでしょう?

恐らく、悪魔から突き放されるという残酷さを、より身も蓋もなく、描きたかったのでしょう。

しかし、僕はここに注目します。

新聞紙に包んだ駄菓子

新聞というからには、なにかが書いてあったに違いありません。

僕はこの新聞紙に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」というキリストの言葉が書いてあったと確信しています。

これを読むことによって、良平は、

ほとんど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。

という心境に至るのです。

そうして、

若い二人の土工に、取って附けたような御時宜おじぎをするのです。

僕はこの「取って附けたような御時宜」という箇所を読むといつも目頭が熱くなります。

 亮平はここで、懸命に「どんなことにも感謝」したのです。

悪魔の三連発に「取って附けたような御辞儀」をしたのです。

 良平はこれから自分を叱ってくれた「背の高い土工=キリスト」のもとに駆けつけるでしょう。

叱るもいうかたちであれ、自分に関心を抱いてくれたキリストに許しを乞いに行くでしょう

 

というわけで、トロッコ、次第にヘヴィーな様相を呈してきましたね。

しかし、話はまだ終わりません。

「悪魔に突き放された」=「恩赦」といえるのか?

この問いこそが『トロッコ』の核心なのです。

そして、この問いは、帰り道に海は右に見えるのか、左に見えるのか?という問題に直結します。

 

さて、読書感想文の方はどうしましょうか?

読書感想文に性的な表現がご法度だってことは、トランプ大統領だって知っています。

僕ならこう書きます。

若い二人の土工、もっと優しい人たちだと思っていましたが、お茶ばかり飲んで、おじいさんみたいだった。

では、また来週、お会いしましょう。