本屋大賞はとってない

本屋大賞はとっていません

信号観

「信号とは号令を信じろの意なり」

名言です。

というわけで、今回は「信号の渡り方」について書いてみたいと思います。

とはいえ、冷静に考えてみると、僕たちが渡っているのは道路であって信号ではない。

ましてや信号機でもない。

信号機を渡れるのは小さな妖精だけです。

でも、この点についての議論は他の人に委ねて、僕は普通に「信号を渡る」と言わせて頂きたいと思います。

あともう一つ、本題に入る前に理解していただきたいことがあります。

僕が信号機という時、その信号機には「もうすぐ赤ですよ」的なバッテリー残量風チカチカは付いていません

もちろん「信号機で特に目立つ部分(抽象化された人間が歩いている部分)」のチカチカとは別問題です。

ちなみに僕はバッテリー残量風チカチカの付いた信号機を「ヒントつき信号機」と呼んでいます。

で、問題は「ヒントなし信号機」なのです。

僕は最寄駅に向かう時、広い道を渡ります。

その広い道は緩やかな傾斜を上りきったところにあります。

つまり、広い道に実際に着いてみないことには、「横断歩道の雰囲気」がイマイチよくわからない。

(これは見落としがちな真実ですが、たとえヒントなし信号機であっても、大抵の場合は「横断歩道の雰囲気」によって信号変化の気配、予感みたいなものが感じられます)

だから傾斜の中間地点で青の信号が見えたとしても、このままのペースで渡れるのか、小走りすべきなのか、ダッシュすべきなのか、判断が難しい。

で、ここからが話の肝なのですが、隣に歩いているサラリーマンの「信号観」と僕の「信号観」には大抵の場合ギャップがある。

僕はこのペースで大丈夫だと思っても、彼が小走りし始める場合がある。

よくみると彼は僕以上に地元っぽい顔をしている。

だからは僕も小走りになって追走する。

でも結果的には余裕で渡れてしまった。

無駄な体力の消費、無駄信号です。

こんなパターンもあり得ます。

隣のサラリーマンがダッシュし始めた。

その人も事情通っぽかったので僕は追走した。

そうしたら、彼は信号がすでに赤になっているのに無視して渡り去ってしまった。

いかがでしょうか?

乗換案内的なアプリでは、歩くのが早い場合、遅い場合といった条件を設定できる場合がありますが、せっかくだから、僕のいう「信号観」も選択できるようにしてもらえないでしょうか。

強気な信号観。弱気な信号観。

ではまた明日